下野市の名所・文化
しもつけの史跡を訪ねて
「下野」という地名は、730年ころに国の出先機関「造下野国薬師寺司」が設置されたことに由来するといわれ、この地域は、古代東国地方の仏教・文化の中心地として大きく栄えました。そのため多くの古墳・史跡が存在し、貴重な史料が発掘されています。
天平の丘公園
下野の自然と史跡が調和した公園です。毎年4月に開催される「天平の花まつり」は下野市の一大イベント。多くの観光客でにぎわいます。
所在地 | 下野市国分寺993 |
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電話番号 | 0285-44-5049(県立しもつけ風土記の丘資料館) |
天平の花まつり
県立しもつけ風土記の丘資料館
昭和61年に栃木県南部の古墳や古代の国府跡・薬師寺跡・下野国分寺跡などの史跡の紹介、研究施設として設置されました。勾玉つくりなどの体験ができます。
下野国分寺跡
国指定史跡
下野国分寺跡は、奈良時代の天平13年(741年)、聖武天皇の詔(みことのり)によって全国60数か所に建てられた国立の寺院のひとつです。これまでの発掘調査から、寺院地の規模が東西413メートル、南北457メートルになることや、南大門、塔の規模などが明らかになっています。
下野国分尼寺跡
国指定史跡
下野国分尼寺跡は、下野国分寺跡の東方約600メートルのところにあり、国分寺と同じく聖武天皇の詔(みことのり)によって建てられた国立の寺院です。全体の規模は南北約270メートル、東西約145メートルで、その東側に南北約211メートル、東西約52メートルの張り出し部分があることがわかりました。
オトカ塚古墳
市指定史跡
オトカ塚古墳は、天平の丘公園の中に所在し、前方部を南に向けた帆立貝形の前方後円墳です。周溝を含めた古墳の全長は約58メートル、墳丘の全長が約32メートル、周溝の幅が約6メートルです。墓道から出土した土器などから6世紀の後半に築造されたと考えられます。
下野の歴史・文化
薬師寺回廊跡
国指定史跡
今から約1300年前(7世紀末)に創建されたと考えられます。730年ころに国の出先機関「造下野国薬師寺司」が設置され、国家事業として造営が進められました。749年には法隆寺などの中央諸大寺と同格に列せられ、その後761年には僧の受戒のための戒壇が置かれ、東大寺、筑紫観世音寺と並ぶ三戒壇の一つに数えられました。その後は荒廃しましたが、鎌倉時代に慈猛によって中興されます。室町時代に足利氏が全国に安国寺を建立した際に寺名を安国寺と改称し、その法灯を今に伝えています。
所在地 | 下野市薬師寺1647 |
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小金井一里塚
国指定史跡
日光街道の日本橋から22里(約88キロメートル)目の一里塚。平成9年度には発掘調査が実施され、旧日光街道の3時期の砂利敷道路とその側溝が発見され、紐に通された寛永通宝(50枚)や陶磁器(茶碗など)の破片がみつかりました。
所在地 | 下野市小金井4-23-12 |
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電話番号 | 0285-52-1120 |
アクセス | JR「小金井駅」から約0.5キロメートル、徒歩約10分 |
国分寺愛宕塚古墳
栃木県指定史跡
全長約78メートルの前方後円墳で埋葬施設は、前方部のくびれ部寄りに存在します。未調査のため詳細は不明ですが、凝灰岩の切石を使用した横穴式石室と考えられます。この古墳は埴輪を伴わないことなどから6世紀末~7世紀初め頃に築造されたと考えられます。
所在地 | 下野市国分寺1379-1 |
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電話番号 | 0285-52-1120 |
アクセス | JR「小金井駅」から約4.5キロメートル、徒歩約70分 |
開雲寺
天応元(781)年下野薬師寺戒壇院代五世恵雲律師により瑠璃光院東光寺として開山されました。江戸時代には、徳川将軍家の日光参拝道中の休憩所で、明治期は真岡県・日光県等が統合され栃木県となるまでの約4年間、仮庁舎がおかれました。
所在地 | 下野市石橋284-1 |
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電話番号 | 0285-53-0408 |
アクセス | JR「石橋駅」西口から徒歩3分 |
関連サイト | 開雲寺のホームページへようこそ |
薬師寺八幡宮
貞観17年(875)創建と伝えられます。現在の本殿と拝殿は佐竹右京大夫(秋田藩三代藩主)の援助によって寛文2年(1662)に再建されたもので、栃木県の文化財に指定されています。氏神様としてまた祈願所として、多くの参拝者が災難除け、勝ち運向上の願掛けに訪れます。
所在地 | 下野市薬師寺1509 |
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電話番号 | 0285-48-0139 |
関連サイト | 薬師寺八幡宮ホ-ムペ-ジ |